「闘犬に狂う 北条高時 〜お犬様が御輿に乗ってやってくる〜 |
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高時がなぜ犬に執着をしたかという前に彼の紹介をしたいと思う。
北条高時(1303〜1333)
鎌倉時代最後の得宗
鎌倉幕府第14代の執権 正和5年、14歳で執権職に。
舅に安達時顕や執事長崎高資らに実権を握られ政治
への情熱を失い政治が乱れ正中の変・元弘の乱を招き
乱世になだれこむ因を作った。嘉暦元年、出家して宗鑑と改め執権を金沢貞顕に譲った。
元弘3年鎌倉・東勝寺にて家臣800人と自害。
現在も「腹きり矢倉」として残されている。
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出家後の実権をもたぬ高時は遊興の中に日を送ることになる この頃京都では田楽(でんらく、食物のデンガクではなく芸能の田楽である)を楽しむ人が多くなりこれに熱中していた。
これを聞いた高時は新座と本座の田楽の家元たちを鎌倉まで招き寄せ日夜を問わず田楽三昧となる。田楽法師が1曲舞うたびに高時はじめ北条一門の主要人物が我先に自分の
衣服を脱ぎ彼らに褒美として投げ与え着物の山が出来てしまうほどでその費用は幾千万とも・・・。ある時の宴を女官が物陰から覗いた所、舞を舞っているのは田楽法師ではなく、
異類異形の化け物だったという。後で調べた所現場に残された足跡は人のものではなく
すべて禽獣がつけたような足跡が残っていたという。それは天下動乱の予兆であろうと噂
された。高時は、この妖怪変化事件にもかかわらず、ある時庭先で犬たちが集まって噛み合っている姿を見て急に興味を覚え今度は闘犬に夢中になる。
仏門に入った身でありながら生き物の修羅場に心惹かれるとは・・・・・。
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全国に命じて年貢や官物として犬を集めだす。つまり国の税金に手をだしたり国家備蓄物資を換金していくのである。いつの時代にも我が身の事しか考えない主要人物は登場してくるとは日本の主要人物達には学習能力がないのだろうかと思わせる。
国々の守護や国司、緒処の北条一族・有力御家人達は
10匹、20匹と犬を御輿に乗せて移動しすれ違う武士達は馬からおりて犬にひざまずかねばならず農民達は御輿を担ぐ人夫として徴用された。農作業に忙しい民達にも
「お犬様の御輿かつぎのお仕事」が嫌でも回ってくるのである。
集まって来た犬には魚・肉・をえさに与え、金銀をちりばめた綱で繋ぐのである。
その結果、肉に飽き錦を着た名犬(?)が鎌倉中に充満!
その数4〜5千匹に及ぶまでになった。
高時は月に1〜2度「犬合わせ」の日を決めて闘犬を
楽しんだ。100〜200匹ずつまとめて犬を一斉に放す。
犬達は取っ組み合いその光景はまるで武士の合戦さながらの凄まじいものであったという。
御輿に乗せられ取っ組み合いをさせられる犬達はいい迷惑であり犠牲者(犬)である。
武士社会の覇権というのは源氏と平家の両家を何度も行ったり来たりしてきた。
しかしながら、この高時が所属する北条家は政権を握ってから現在に至るまですでに9代にまでも及んでいたにも
かかわらず「太平記」が示すようにこうした高時の放蕩ぶりが鎌倉幕府を滅亡に追いやったといえるだろう。
高時の遊びのために犠牲になった犬達の冥福を祈りたい
心境である。
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【参考文献】
国史大辞典 第12巻
東京 吉川弘文館
北条高時のすべて 佐藤和彦
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